さわけんこと澤田健太郎です。
2021年9月5日のパラリンピック閉会式をテレビで見届けながら、私の14日間に及ぶ東京2020大会のボランティア活動は全て終了し、2018年から始まった私のボランティア・ジャーニーは4年の時を経て、ここに完結致しました。
多くの人が期待しているような高尚な動機など一切なく、ただ単に「楽しそうだからとりあえず応募してみっか」でなんとなく始まった私のボランティア・ジャーニー。それがまさかこのような一生忘れられぬ旅路となろうとは、当時は全く想像だにしていませんでした。
多くの人たちにとってオリンピック・パラリンピックが他の競技会と違って特別なものである事は、私たちボランティアにとっても例外ではありません。世界中から多くのアスリートや大会関係者、メディアが集結し「It’s a small world」をリアルに体感できる事はもちろんなのだけれども、ひとりのボランティアとして最も感じたオリンピック・パラリンピックの特別感は、その準備期間の長さにありました。それはまさに「ボランティア・ジャーニー」という言葉が最も良く表していると思います。
無観客が決定し一時は活動ゼロも覚悟したオリンピック・パラリンピックでしたが、幸いにもオリンピックでは観客対応のEVS(イベント・サービス)からメディア対応のPRS(プレス・オペレーション)に配置転換となり、世界中のメディアの方々とともに熱闘の10日間を過ごすことになりました。またパラリンピックでは選手に装着するセンサーを管理するTEC(テクノロジー)を担当する事に。もし有観客でEVSのままであれば、これほどまでに英語を駆使し「世界」を感じることもなかったでしょうし、試合の様子をわずかながらにも目にすることも無かったでしょう。新たなオファーを受けていないEVSやMEDなどのボランティア仲間の存在を考えると、手放しで喜ぶ事は出来ないのですが、このような機会をつくりだしてくれた関係者には感謝しかありません。
もちろん、楽しい事ばかりではありません。PRSの研修資料は当日の会場に向かう電車の中でも必死になって目を通してましたし、そのくせ実際の現場はマニュアルには無い事ばかり。さらには一部の国内メディアから悪態をつかれたり、暑さにやられて倒れてしまう人もいたりと、厳しい場面にも何度となく直面しました。また、PRSチームが展開した万全の感染症対策やルールを最初に破るのが他の役割のボランティア自身である事に対し、いつもフラストレーションを感じていたのも事実です。
でも、世界中のメディアがアスリートの言葉を世界に発信するサポートができた事や、オメガ社が提供するミリ秒単位の判定をリアルタイムに提供するセンサリングシステムのサポートができた事は、「情報の伝播が世界平和をもたらす」という信念のもとネットワーク・エンジニアを本職としている私にとってこの上なく光栄でエキサイティングな出来事でした。
西川千春さんの著書「東京オリンピックのボランティアになりたい人が読む本」に「人生最高の2週間」とありますが、今ようやくその意味を理解することができました。私がこの2週間に携わったことは大会運営の一部の業務を担う単なるボランティア活動に過ぎません。しかしこの2週間に最高のパフォーマンスを発揮するために数多くの仲間と共に費やした長きにわたる準備期間。これこそがこの2週間を光り輝く特別な存在にしてくれる事に今更ながらに気づいた‥‥そんなオリンピック・パラリンピックを私は一生忘れることはないでしょう。